【思うこと】自己責任論は簡単だが、自分の首も絞めている

どうも、ふーらいです。

旭化成社長の発言がネット上で物議を醸しています。

「40代前半の層が薄い」人手不足に危機感 旭化成社長

当社では、30代後半から40代前半の層が薄くなっています。2000年前後に構造改革で採用を極端に減らしたためです。その世代が中間管理職として一番パワーをもたないといけない時代にさしかかってきました。キャリア採用もしていますが、なかなか人が集まりません。

ええ、まさに就職氷河期世代のことを指しています。

大体、採用を絞って教育を投げ捨てておいてキャリア採用とはどういうこっちゃ? とツッコミを入れたくなりますが、この辺のツッコミは皆も同じです。

旭化成の社長「40代前半の層が薄い」とぼやく – Togetter

怨嗟の声。そりゃそうよね……

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旭化成社長が悪いとは言い切れない。しかし……

ただ、彼が悪いとは言い切れません。

当時の採用担当でないなら、仮にこうなることを予測していても対応は出来ないでしょうし、就職氷河期は企業も苦しかったから、採用を渋ったワケです。

もちろん、何故苦しかったかを追求すると、実は当時の団塊世代を切れなかったとか、余計に世代間の溝を深めるオチが出て来る部分があることは否定しません。

どんな理由であっても、それは企業側の言い分であり、当時絞られた人達には関係ありません。

そして、その事はおそらく

多くの人が理解しています。理解していても、言わずにはいられないんです。

怨嗟の声は止まりません。

では何故、言わずにいられないのか。

自己責任論は強者の理論

それは、この世代が就職出来なかったり、酷い労働環境を押し付けられて辞めた際、企業や社会が彼らに

「自己責任」

と言い放ったからです。

氷河期と言っても就職出来ている人もいる。なら貴方に職がないのは自己責任であると。

確かに、企業だって大変なんだというのは事実ですし、就職出来ている人がいるのも事実です。そういう視点でいけば、就職出来ない人は、出来る人に比べて能力が劣っていると。

しかしだからといって「上手く行かないのはその人のせい」で本当に良いのでしょうか。自己責任だから、で話を終わらせて良いのでしょうか。

その答えが、今回の旭化成に対する皆の反応です。

弱い相手を斬る人は、自分が弱った時に斬り返される

あの時「自己責任だぞ」として採用を渋った世界。当時の人達は、その時に言われた自己責任という言葉を決して忘れていません。

今回の旭化成が叩かれるのは、強く、困っていない時に、弱く、困っている人達を「自己責任」という刀で斬ったからです。

しかし、企業側が困った立場になったらどうなるか。

同じ刀で斬られます。

「困ってるのは自己責任だよね?」と。

当然ですよね。弱った相手を斬って捨てておいて、自分が弱った時には助けてくれだなんて、そんな理屈が通るワケがない。

就職氷河期と言われる世代や、ロスジェネ世代と言われる人達が、企業や政治に関して厳しい声を挙げるのは、自分達の状況が厳しいという単純な構図だけではないんです。

当時は社会そのものに余裕がなかった。誰のせいでもないハズ。それを自己責任だろうと、強い立場の人達が彼らのせいにして、全て押し付けてしまったからなんです。

サイレントテロという言葉があります。

サイレントテロの研究 – 消費しない・子供生まない・会社で働かない

サイレントテロリストの多くは、就職氷河期かそれ以降の若者です。彼らは恐ろしいほどの努力をしてきましたが、長時間労働・サービス残業・セクハラ・パワハラ・アルハラなどにより、努力による対価を得ていないばかりか、最近の若者は……と批判されています。

別にこの世代に限って、何の努力もしてこなかったワケではありません。

むしろ、バブル世代のようにとりあえず入社出来た世代の人達よりも、間違いなく努力をしています。

にも関わらず、自己責任と斬って捨てたのです。

しかも斬った側は、自分達より明らかに楽だったであろう世代――

これは彼らの怨みです。憎しみです。当然の結果ですよ。

さて、この辺からはちょっと仕事の話は置いといて。この辺は私は当事者ですが詳しくはないので、どっちかというと自己責任って言葉が生む怨みや憎しみの方面の精神的な話。

強い時ほど魅力的な言葉

確かにこの世には、本当に自己責任だろとしか言えない事案もあります。しかし、自己責任だと相手を斬ってしまう時、それは自分が逆の立場になった時、間違いなく斬り返されることを意味します。

自己責任という言葉は強くて、それでいて便利な言葉です。しかし、使う際はよく考える必要がある言葉なのです。これは別に今回の、企業や就職に限ったことではありません。

「病気になるなんて自己責任」

「会社を辞めて困るなんて自己責任」

「借金するなんて自己責任」

路上で裸で寝て風邪を引く人は、自己責任かもしれません。しかし、ちゃんと体調管理を行ったにも関わらず、たまたま病気になった――これを自己責任と片付けていいのでしょうか。

会社を何の準備もなく、ただなんとなくで辞めてしまう人は、自己責任かもしれません。しかし、給与もまともに払われない会社だったら。サービス残業で身体を壊してしまったら――

計画性の欠片もなくパチンコに行く人は、自己責任かもしれません。しかし、その人は依存症を克服するべく治療を受けているにも関わらず、上手く行っていないのだとしたら――

ある一面だけを見て、自己責任だと言う行為が、如何に暴力的なことか。

誰でも弱る可能性はある

「病気で休むなんて自己責任だ」

そう言った直後、貴方が病気になったら誰も助けてくれません。貴方にどんな事情があろうとも、関係ありません。自分が弱った時に、同じ言葉をかけられてしまうんですよ。

「会社を辞めて困るなんて自己責任」

そう言った直後、家族が倒れて辞めざるをえなくなったとしても、貴方は同じ言葉をかけられます。

「借金するなんて自己責任」

信頼していた人が夜逃げし、連帯保証人として借金を背負った人にも、同じことが言えますか?

自己責任論を使う人は、実は自分の首が締まっていることに気付かない人が多すぎます。

人には事情がある。その時の世界があるんです。

その背面世界を知らないままに相手を、強い立場から批判する――恨まれて当然です。

人間、いつ何があるかは誰にも分かりません。弱った人を救えとまでは言いませんが、それを斬って捨てることは、将来、自分が弱った際に斬り捨てられることを忘れてはいけません。

終わりに

ちょっとスピリチュアル的な話になるかもしれませんが、相手にしたことは自分に跳ね返ってくるんです。強い言葉を使う時は、良く考える必要があります。

誰も傷付かないのが一番だけれども、そうはいかないのが世の中。ならばせめて、自分から進んで傷付けにいくのだけはよそう。

以上だ! また会おう!!

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