【記録】しきりん個人が「絵を描く」ことについて思うこと【お悩み・解決済み】

しきりん個人の「絵を描くこと」について思うことを書き並べています。とても個人的なお話です。とある絵描きのその人にとっては大変そうな悩み事とでも思ってください。

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今までしてきたこと

絵は自分が描きたいものを描きたい分だけ描いてきた。思いついたものを片っ端からアウトプットする日々。
自分にとって好きなものを描き続けてきた。多く、「まるっこいの」のようなかわいいキャラだったり、自分が裏でやっている一次創作の人間キャラだったり、何かしらのエフェクトだったり。とても気まぐれで何を描くかはその日の自分ですら分からないことが多かった。
絵は描くことを「目的」としている。何かを伝える「手段」では無いので、言ってしまえば中身は無いようなものである。
自分の絵柄がとても気に入っていて、自信もそう言う意味ではある方だ。

問題

まるで絵を人に見てもらえない。自分の絵など眼中に無い印象を受ける。特に人間キャラ絵は致命的だ。自分は自分の好きなものを描きたい分だけ描いて人に見てもらいたいだけ。
では、どうすれば改善するだろうか。とある人の意見を聞きながら、自分なりに考えてみた。

原因追求

とある人の意見を聞いた結果、いくつかの原因が見えてきた。

まず、致命的かつ最大の原因として「世の需要に合っていない」ことが分かった。需要から大きく外れていたのだ。それも致命的に。

ひとつ、絵柄。個性とも言える絵柄が現在の需要にまるで合っていない。あまりにも世の需要から外れ過ぎて自分の絵柄は最早グロ画像に近い。

ひとつ、絵の内容。あくまでネット上に限定するが、現在の需要は「女性キャラ」である。自分は女性キャラも描きたいけれど、それ以上に男性キャラも描きたい。男性キャラは最も需要が無い。その男性キャラも、自分はテイルズオブシリーズくらいのものを描きたいと思っているが、世の中で受けている男性キャラは刀剣やアイドル系のもので自分が思っているものとはまるで違う。仮に理想とする男性キャラが描けたとしても絵柄でアウトになる。

ひとつ、努力。自分にとっての絵は現在ただの趣味なのでそこまで努力していない。絵は面倒くさがってはいけない。しかし今の自分では面倒だと思う部分が少なくともいくつか存在している。趣味としてとどめておくなら別に努力しなくてもいいが、ここまで悩むってことは思うことがあるんじゃないの?

絵を人に見てもらうと言うこと

「絵を人に見てもらう」ことは簡単ではない。絵を人に見てもらうとは、対象の需要に合わせ、対象としている人にプレゼンするのと同義。つまり、対象としている相手に合わせる必要がどうしてもある。ただ自分の好きなものだけを描いてネットの海に流せば誰かに見てもらえるなんて事はない。そんな甘い世の中ではないのだ。
絵を見てもらうには需要に合わせるのが非常に重要だ。現在だとかわいい女の子を描き続けろってこと。

自分の好きなものを描き続けた結果、少数の誰かに受け入れられることはあるかもしれない。でもそんなの、ある日隕石が自分の頭上に降ってきて直撃するくらい奇跡的なことだからまずありえない。

現在の自分

ネットから離れ、絵を描くことも休止している。
休止して分かったのは、自分は意外にも自分の「好き」を他者に知ってほしいと思っていたことだ。だから絵をネットに流せる環境では無い今、自分は絵を描くやる気などまるで無い。絵は描くのが目的であって何かを伝える手段ではないと今まで思っていたが、実は手段としての一面があった可能性が出てきた。

さて、どうしよう

これらの現実が分かったところで次は自分が「どうしたいか」だ。
「自分の好きなものを自分の好きな絵柄で描いて人に見てもらう」と言うのは絶望的に無理な話だ。と言うか不可能。
絵を人に見てもらうためには、絵柄を世の流行に変え、世の需要である女の子を描くしかない。
でもそれは自分がやりたいことではない。やりたくないことをしてまで絵を描いて人に見てもらいたいのかと言われれば、否。違うよなあ。
自分の好きなものを描き続けた結果、人が集まったパターンも少なからず存在するようだが、そんなの極めて稀でとんでもなく奇跡的だろうから望むものではない。

選択肢

選択肢は「世の需要に合わせたものを描く」、「自分の好きなものを描き続けることを貫き通す」、「絵を描くことを止める」くらいだろうか。

世の需要に合わせれば絵を人に見てもらえる可能性があるだろう。初めは苦痛だろうけど、それなりの結果が返ってくるかもしれないし、何より一番希望がある。

自分の好きなものを描き続けることを貫き通すのは、最も楽な方法であると同時に最も苦痛である。要するに現状維持で考え方だけを変えるのだから、開き直る必要がある。最悪、今以上に誰にも相手にされないことを覚悟せねばならない。ただし、自分の好きなことは出来るので、あまり人からの反応を気にしなければ一番幸せかもしれない。

絵を描くことを止めるのは、良いことも悪いこともこれ以上起こさないようにすると言うこと。良くも悪くも誰も自分の絵を求めていないのだから他者に迷惑はかけない。こればかりは自分がどう思うかってだけの話。何十年も続けてきたことをそう簡単に捨てれはしない。

究極的な回答

その答えはただひとつ、「人の目を一切気にしない」ことだ。
変な話、自分は自分の絵柄がとても気に入っていて、それ故に自分は自分が描いた絵がとても大好きだ。これ以上の成長は難しいけども同時に非常に満足している。自分の絵で満足できる環境はとても貴重である。それなのに不満を感じているのは、この気持ちを上手く人と共有出来ないからだ。
ならばいっそその不満の原因になっている他者の存在を無くして人の目を一切気にせずに我が道を進み、ひたすら自己満足し続ければ、自分の好きなことをしながら幸せになれる。これもまたひとつの選択肢だろう。
ただ、これをするとネットの海に自分の絵を流す必要は無くなるし、それ故に人に自分の好きを伝える手段を無くすことになるので、その状態で絵を描き続けられるかと言えば疑問。
一応、人の目を一切気にせずにネットの海に自分の絵を流し続けて自己満足しているうちに物好きが現れる~なんて夢を見れなくもないが、可能性としてはあるだけでまあまず無いだろう。

現在の結論

今現在はいくつかの選択肢で悩んでいる状況。どれも一長一短で非常に悩ましい。
「世の需要に合わせたものを描く」が一番希望がある。
「自分の好きなものを描き続けることを貫き通す」で「人の目を一切気にしない」が一番幸せになる可能性がある。
「絵を描くのを止める」は希望も絶望も無くす。

さて、どうしようかなあ。

追記(変化の過程の記録)

その1

「自分の好きなものを描き続けることを貫き通す」方で頑張ってみようかと思う。ただの趣味なんだから好きなことをするのが一番かなって。
幸いにも「まるっこいのは好き」と言ってくれる人が複数確認できた。まるっこいのはもう一度ネットの海に流してみようかなと思う。
人間キャラの絵については、自分が世の需要に合わせるつもりが無いので人に見てもらうことをきっぱり諦める。ネットの海に流さず、自分個人で楽しもうと思う。とか言いながら、描いて欲しいとか見てみたいとか言われたらほいほいネットにアップしそう。ちょろいね。
Twitterのアカウントについては、仮に復帰するにしても10月の中旬になりそうです。システムの都合です、本当にありがとうございました。
人の目を一切気にしないようにするのが課題だけど、こればかりは頑張るしかない。いいねに一喜一憂しないように努力するしかない。
自分の人生は自分だけの物なのだから、自分が一番幸せになる道を選びたいね。

その2

心構えについて。
ひとつ、感情コントロール。自分は人の反応に一喜一憂しすぎなのでこれだけは徹底的に注意する。感情の起伏が激しいと理解したならば頑張って抑制しようと言う話。具体的には、喜ぶ時には喜び、へこむ時にはへこんでも良いが、強く激しく起こさないようにすること。反応をもらったら「わーい!まる」くらいにしておく。別に喜ぶなともへこむなとも言わない。
ひとつ、唯我独尊を心得ること。自分はとにかく人の目を気にしすぎである。自分は今まで、自己中心的に動いても八方美人で人に合わせても何をやってもうまくいかなかった。ならばいっそ唯我独尊で我が道を突き進むのも悪くないかもしれない。人の目を気にしないのであればそれでも良かろう。案外、我が道を進んでいる方が変人を極めてて見てる分には面白くなるかもしれない?

人間キャラ絵について。
自分が世の需要に合わせるつもりがないので人に見てもらおうとするのはきっぱり諦める。までは同じ流れとして、「それでもなお」ネットの海に流してみようかと思う。人の目を気にしないのであれば自分の好きを流す分には何の問題もない。世の需要とかも関係ないしね。むしろネットの海に流している方が自分と似た波長や好みを持つ貴重な人に出会えるかもしれないし? ただ、この件については現在も悩んでいる。まだまだ人の反応が気になってしまっている気がする。仮に行動するにしても時間がかかりそう。

その3

価値観について。
真に価値を見出すべきは「自分自身」であり、「絵を描くという行為」や「絵そのもの」ではない。
絵そのものに価値を見出してしまうと、絵が描けなくなると自分の存在価値がなくなるような感覚に陥って焦り出す。また、絵を否定されたり評価されなかったりすると自分の存在価値も同じように感じて超へこむ。そのわりには、褒められても絵が評価されたのであって自分自身のことではないとそこまで嬉しくないことが多い。
絵を描いてる「自分自身」がすごいんだから自分自身に価値を見出すべきである。そうすれば、褒められれば素直に受け取れるし、否定されれば絵が否定されただけで人格否定されたわけじゃないからそこまでへこむ必要も無い。(絵ではなく人格を否定された場合は別問題なのでここでは除外する)

自己肯定感とは「自分はここにいても良い」という感覚を言う。
今までの自分は絵が描けなければここにいてはいけないのだと思っていたし、それ故に絵を描き続けることを自分に強いてきた。
しかしよく考えてみろ。それは「誰が言ったのだ?」
誰かに言われたわけでもないのにそうしている自分はとてもおかしいと気付いた。仮に誰かに言われたとしてもそれに従う筋合いなどない。
自分がここにいて良いかどうかは自分が決めるものであって外側は関係ない。

最終結論(解決)

絵を人に見てもらうことを諦め、自分は自分の好きなように「自分が好きな」絵を描き続けていく。

「自分の好きなものを自分の好きな絵柄で描いて人に見てもらう」のは世の需要に合っていないから不可能だ。ならばいっそ「人の目を気にせずに描けば良い」と言う結論に至った。自分は自分の絵柄をとても気に入っていて、それ故に自分が描いた絵が大好きなのだから。

自分と向き合って気付いたこととして、自分が描く絵は描くことが「目的」であって何かを伝える「手段」ではないと思っていたが、実際は自分の「好き」を伝える手段としての一面があった。その好きを伝えたいのならば尚更自分の道を貫き通した方が良い。

これらの結論を出すに至ったのは価値観と自己肯定感の考え方を変えたことが大きい。
価値観については、真に価値を見出すべきは「自分自身」であり、「絵を描くという行為」や「絵そのもの」ではないということ。
自己肯定感については、自分がここにいて良いかどうかは自分が決めるものであって外側は関係ないということ。
詳細は追記その3にあるので説明は省くが、これらの考え方に変えることで何かいろいろ吹っ切れました。

結局のところ、この一連の問題は絵ではなく自分自身にあった。絵はひとつのきっかけに過ぎず、この話は自分の自己顕示欲・承認欲求・自己肯定感などの話だったということ。そう思うとわりと歪んでたね。

今後はこれらを自覚しながら感情をコントロールしつつ上手く自分と付き合っていくと言ったところ。一度しかない自分だけの人生、どうせなら明るく楽しく過ごしたいしね。絵は趣味なんだからもっと肩の力抜いて楽しんでいきましょう。

さいごに

以上、しきりん個人が絵について悩んで解決するまでのお話でした。ここまで読んでくれた方に感謝と共にお疲れ様の言葉を。ありがとうございました!

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