どうも、ふーらいです。
この間、平昌オリンピックが閉幕しました。次回は東京です。
東京ではすでに新国立競技場の建設をはじめ、施設を準備中です。この辺は小池都知事と東京都議会で、一時期は連日報道されていましたね。
そう、新しい施設がいるんですよ。
そりゃそうですよね。世界各国のさまざまなスポーツの選手とそれを支えるスタッフ、応援するサポーターなどが、オリンピックではひとつの国に集中するんですから。
で、その施設ってオリンピック終わったらどうするんです?
ひとつの国でまとめてやらなくていいじゃん
世界中のスポーツの世界一決定戦を、ひとつの国で、2週間ちょいで全部まとめてやろうってのが、無理難題だと思うんですよ。
夏季オリンピックの種目数は、次回の東京では339種の予定です。1896年のアテネオリンピックでは43種目しかありませんでした。1964年の東京で開催されたオリンピックでも、種目数は163。
もう、増えまくっちゃってるんですよね。
339種目ものスポーツの世界一を、4年に1度、しかもひとつの国でやるもんだから、大きな施設が複数必要になり、それらをお金をかけて作ることになります。
しかし、オリンピックが終わってしまうと、選手もスタッフもサポーターも、自分の国に帰ります。そして、使う予定が存在しない、デカい施設だけが負債として残る。
この点については、すでに述べているところがありました。
北京オリンピックを考えてみるといい。開会式やトラック競技、フィールド競技が行われたアイ・ウェイウェイ設計のスタジアム「Bird’s Nest」は、維持に年間1,100万ドルの費用がかかっている。
水泳のマイケル・フェルプス選手が7つの世界記録を更新した「Water Cube」は現在は水上公園となっているが、それでも維持のために年間150万ドルの補助金が必要な状況だ。
2008年大会にて中国は約400億ドルを使っており、その結果もたらされたのは1億7,000万ドルほどしかないと考えられている。
北京オリンピックを開催した中国では、その後の施設の維持費に多額の費用がかかってしまっています。
こうなってしまうと、仮に、オリンピック誘致が開催国に経済的に良い結果をもたらすとしても、それは短期的なものでしょう。
各国で世界大会を開催、ローテーションすればいい
だったら、各国それぞれすでにある施設を使って、それぞれが世界大会を開催すればいいと思うんですよ。
たとえば、日本だったら柔道を。野球はアメリカでやって、卓球はロンドンで、フェンシングはフランスでやればいいじゃないですか。
そうすれば、無駄に人が集中しません。一時的にだけやってくる、過剰な人数を処理する施設は必要はなくなります。
同じ国で開催するのがダメなら、それこそローテーションさせればいいんですよ。日本で柔道やったら翌年は別のところが柔道やって、代わりに日本で野球をやればいい。
島か塔立てて、そこでやる
もしくはコレ。ポケモンリーグみたいなのを作っちゃう。
開催国は今の決め方そのままで、代わりにその国の施設を使うんじゃなくて、なんかめっちゃカッコいい塔とかを建てるんですよ!
「オリンピックは4年に1度、あの島で行われる」……ファンタジーな感じですが、悪くないと思うんですよ。
塔の管理や運営を、開催国が行います。すでに施設はあるので、その国の特色は施設内で出してOK。施設をローテーションするのではなく、施設を各国がローテーションで使う。
経年劣化による施設の維持や修繕などの問題がありますが、代わりにすごくカッコいいですよコレ。絵になります。
「オリンピックって、なに?」
「あの島で戦うことさ」
オリンピック憲章は古いのでは?
オリンピックにはオリンピック憲章という、要するに「こういう理由からオリンピックをするぞ!」という規定があります。
その中に、こういう項目があります。
オリンピック・ムーブメントの活動は、結び合う5つの輪に象徴されるとおり普遍且つ恒久であり、五大陸にまたがるものである。その頂点に立つのが世界中の競技者を一堂にあつめて開催される偉大なスポーツの祭典、オリンピック競技大会である。
「世界中の競技者を一堂にあつめて開催される偉大なスポーツの祭典」
おそらく、ここが原因です。分散開催とかできない、最大の理由です。
ですけどね、これはオリンピック元年、つまり先に書いた、アテネオリンピックの際に掲げられた内容です。1896年ですね。
そりゃ、アテネオリンピックならそれで良かったでしょう。参加人数も競技数も少なかったですしね。
でもね、今もう2000年越えてるんですよ。
オリンピックの考え方の生みの親、ピエール・ド・クーベルタン氏も、こんな数の競技と人口を当初から想定して発言してませんって絶対。
それだけ世界が繋がって、オリンピックの精神も広がったってことだと思うんです。それは素晴らしいことです。間違いなく、オリンピック憲章は世界に貢献しています。
だからこそ、もう一堂に集めなくて良くないですか?
まとめ
- オリンピックは、ひとつの国でやるには大きくなりすぎている
- 分散して開催するか、同じ施設をみんなで使った方がいい
- オリンピック憲章は大切だけど、この規模は想定されていない
日本では、東京での開催施設に対し、対応は二転三転しました。その結果、こんな痛ましいことも起こりました……
新国立競技場の地盤改良工事の作業管理に現場監督として従事していた23歳の男性が、3月2日に失踪。4月に長野県で遺体で発見された。工事現場のセキュリティ記録などから、失踪する前の1カ月間は211時間56分の残業が認められた。
オリンピック憲章には、こんなことも書かれています。
「平和でよりよい世界をつくることに貢献すること」
よりよい世界とは、人によって価値観がありますからね。一概に、どんなものかは具体的に言えないと思います。
でも。それでも。
施設を建てるために人の命が犠牲になることが、よりよい世界を作るために必要であると考える人は、まずいないのではないでしょうか?
以上だ! また会おう!!