どうも、ふーらいです。
訃報で記事を書くようなことは、今までなかったのですが。
ゲームの「ドラゴンクエスト」シリーズなど幅広いジャンルの音楽を手がけてきた作曲家のすぎやまこういちさんが先月30日、敗血症性ショックのため亡くなりました。90歳でした。
2016年にNHKで放送されたインタビューです。https://t.co/C10yEap2oF#nhk_video pic.twitter.com/Me3x1iabC5— NHKニュース (@nhk_news) October 7, 2021
すぎやまこういち氏が亡くなっていたことが分かりました。
ドラクエが代表的ですが、本当にさまざまな音楽を生み出した人です。私が無知なだけかもですが、競馬のファンファーレまで作っているとは知りませんでした。
すぎやまこういち先生が作曲された、東京と中山競馬のファンファーレです。合掌 pic.twitter.com/HJFwOHzCus
— 競馬インフォメーションクラブ (@keiba_info_club) October 7, 2021
ネット上ではザオリクが唱えられていますが、90歳ということで、個人的にはゆっくりとあっちでゲームを遊んで欲しいなと思っています。ご冥福をお祈りいたします。
で、何でこんな話を書いているのかと言うとですね。
私のゲーム人生で絶対的な存在のひとり
今もゲームを楽しんでいますが、私が子どもの頃、最初にハマったのがドラクエⅢでした。マリオとかも遊んでたんですが、最初に沼に沈んだのはドラクエです。
好きなようにキャラを作って、世界中を冒険する。RPGとはこんなに楽しいんだと知った作品であり、フィールドと戦闘BGMが本当に好き。当時は運動会なんかでも流れてました。
その後ハマったのはドラクエⅤ。いやもう魔物を仲間に出来るとか最高過ぎました。戦闘BGMはドラクエ最強だと個人的に思ってます。
ちなみに、洞窟などのダンジョン内だとエコーがかかった別verになります。私はこっちが超好き。
普通にクリアしただけでは飽き足らず、魔物だけ連れてレベル上げまくったり、カジノにずーっと籠もったり……
そしてその後。私のHNにもなっている「風来のシレン」はそれはもう、アホみたいにやりました。マジでアホみたいにやりました。何回どうたぬき+99を作ろうとしてダメにしただろう。
当時攻略本も見ずひたすらテーブルマウンテンやってたので、どうたぬきが最強だと思ってたんですよ。あの頃はフェイの最終問題が難しすぎて、幾度となく心が折れたな……
最初の街、渓谷の宿場が好きでしたね。雰囲気が詰まってます。ムカついた時にNPC全員弓矢で射殺したりもしました(最低
一回メチャクチャ素晴らしい状態で進んでたのにバグで進行できなくなり、涙目になりつつサポートに電話したこともあります。親切に答えていただきましたが、結局その冒険はダメでした。
しばらくして店の売値でアイテム鑑定が出来ると知り、アイテムの売却価格をひたすらメモしてましたね。初めて踏破した時はめっちゃ感動しましたよ。
ちなみに、風来のシレン2はニンテンドー64で出まして、コレもまたアホみたいにやりました。+99武器複数作ったり、すべての武器を飾ったりしました。
難易度は2の方が低かったですが、2はコレクター要素が多くって。なんかモンスター牧場みたいなのに全モンスター登録するのに必死になってた思い出があります。
まぁ私、Twitterやネトラジで知っている人には今更な話なんですが、幼少期あんまり良い思い出がない人生を送っています。
社会人になる前に自己分析とかやるじゃないですか。アレ、子どもの頃の歴史とか書いたりしませんでした? 私はそれ、一切書けませんでした。
子どもの頃の夢とか、何がしたかったとか、そんなもんありゃしません。あったとしても、毎日学校行くのに必死だったことばっかりで、印象がまるでありません。
そんな中、ゲームは輝いていたなぁと。
流行りの歌とか分からないけど、ゲームのBGMは口笛で練習したり。ほんとね、そういう子どもだったんですよ。
記憶って、BGMとセットなんですよね。だからBGMを聴くと、いろんなゲームのシーンが思い出せます。あの頃は小さいブラウン管テレビで必死に遊んだなぁ。
いや、何か語りたくなっちゃって。大したオチとかはなくて。会ったこともないけれど、あの頃の私が本当にお世話になりましたって言いたいだけです。そんな話でした。