どうも、普通という存在に子供の頃から憧れています、ふーらいです。
なぜかと言うと、私自身は幼少の頃から普通とは言えなかったからです。主に、体調が。
自分語りするよ
生まれた時から病弱だったのですが、致命的だったのは「はしか」です。
5歳の時に罹患。本当かどうか分かりませんが、熱が42度出たとか言われてます。とはいえ、ここで文章を書いているとおり、なんとか一命を取り留めました。
代わりに、いろんな病気を背負いました。高熱で抵抗力が下がったせいで、はしかが治った時、私はネコアレルギー、花粉症、小児喘息の3つを同時にもらってしまったのです。
花粉症はまだ症状が軽いのでマシでしたが、ネコアレルギーと喘息はかなり厳しく……小学校の頃は2週間に1度は定期的に通院、採血をしなければいけませんでした。
本来ならマスクを常用すべき体調だったのですが、学校は先生すら「重病に見えるから使うな」と私に言い、結果、1ヶ月に1度は風邪やらインフルエンザやらで寝込む人生だったのです。
だからこそ、ずーっと思っていました。「普通になりたい」と。
普通ってなんだろう
子どもの頃の私にとって普通とは「身体が弱くないこと」でした。私はこの後大学に行くまでいろいろいじられ続け、大学でようやく開放されることになります。
しかし、今度は就職でブラック企業を見事に引き当ててしまい、サッサと退職。その後自営業をしていくことになります。
今思う普通とは「就職活動の後に就職して、辞めずに働き続けていること」だと思っています。
いずれも、今の私とはまったく違うモノです。
普通とは、明るく眩しい存在
普通なら、世間で何も負い目に感じることはありません。
本当に体調が悪いのに「仮病だ」と言われることもないですし、大きなイベントの前に体調を崩して「サボりだ」とか言われることもないワケです。
大人になってからも、収入に関して今ほど大きく悩むことはなかったでしょう。ある程度決まった時間働いて、決まった給料を貰えるのですから。
よく正社員を「社畜」と呼んだりしますが、彼らは自由を企業に捧げる代わりに、多くの保護を受けています。毎日仕事があり、毎月収入があることが、どれだけありがたいことか。
仮に仕事を辞めたり、会社都合でクビにされてしまっても、保険である程度までは守られます。
そんなようなことを、テンションが低い時は常に考えてしまいます。しかし同時に、私の思う普通だったら、私が本当に悩みから開放されていたのかと言えば……
それは本当に普通なのだろうか
国民的アニメであるサザエさんや、クレヨンしんちゃんに出てくる家庭。一般的な家庭か、下手をすると若干負け組かのように描かれるそれは、今や理想レベルの贅沢な生活になっていますよね。
つまり、私が普通だと思って見ている人たちもまた「普通になりたい」と悩んでいて、実は普通とは全然普通じゃなく、輝かしい理想像レベルなのかもしれません。
しかしながら、あくまで普通という定義。つまり「そうなって当たり前」な環境と考えられていて、多くの人はそんな普通と理想のギャップに苦しんでいるのではないか……と思ったりします。
私ほどではないにせよ悩んでいるか、もしかすると私以上に苦しんでいるのかも。
人生は配られたカードで勝負するしかない
スヌーピーの名言として多く知られているこの言葉。チャーリー・ブラウンの「自分以外の人間になりたいと願いながら、人生を送るのは耐え難い」なんてセリフもあったりして、深い。
結局、どんなになりたいと思っていても、自分の持つ手札で再現不能なことに関しては、もう仕方ないと思う他ありません。
私は健康になるために、いろんな運動や食品を試すことはできますが、はしかを無かったことにはできないのです。インフルエンザの時期にマスクなしで外を歩くことは、もう一生できません。
ブラック企業で潰れた新卒カードは、もう取り戻せません。受けた心の傷も、企業に対する不信感も完全には拭えないです。
でも、自営業で新しい道を模索したり、今から正社員を目指したり、はたまたまったく違う生き方をすることは可能です。
その努力は本当に必要なことなのかを、一度考える
普通になるための一定の努力が、目指す以上は必要です。そもそも普通なのに努力しないとなれないって時点で、もう普通じゃない気もしますが……とにかく、頑張るしかないワケです。
しかし一方で、本当にそれは実現可能なのでしょうか。私のようにもう絶対に無理だったり、実は普通になんか、なりたくなかったりしませんか?
手札にあるカードで実現可能なことは、頑張るべきです。でも、どう考えても実行不能なことに関しては、スッパリ諦めて別の生き方を考えた方が幸せではないでしょうか。
私たちはどこかで、普通という理想に救われたいと考えているのかもしれません。
以上だ! また会おう!!