※最初に注意。
この記事は最近話題になっている、車椅子ユーザーの一部がうるさい(詳しくは「伊是名夏子」とか「車椅子ユーザーはそれでも負けない」とかでググってね)ことに対する、
アンタ達がそんなこと言うなら、こっちも言わせてもらうけれども
という「あーいやこーいう」的なお話です。全然建設的ではなく、もはや愚痴レベルに近い記事となります。この前提でも読んでみようかな、という人だけ、この先へ進んでくださいね。
あと、すっごく悪い意味で強い言葉が出ます。はい。
どうも。
屁理屈も理屈だろって子どもの頃に言ったらシンプルに殴られた経験があります、ふーらいです。
先の注意書きを読んだかい? 読んだね? じゃあ始めていこうね。
障害者以前に、他人を思いやれないヤツは何やってもダメ
当たり前の話なんですけどね。
健常者と違って何らかの配慮や工夫が必要な時点で、ハッキリ言えば迷惑なワケですよ。何故なら、本来かける必要のない手間や労力が必要ですからね。
それが例え法律や規則で平等に扱えと書かれていたとしても、その平等に扱うのは人間。法律や規則は人間を動かす理由のひとつに過ぎません。
となると、大事なのは手を出し述べる側の人が納得出来るかってのが非常に重要になります。理屈ではありません。人間は感情の生き物ですから。
特に相手が健常者の場合、障害者の苦労を一定の想像までは出来ても、完全には理解できません。そんな中で相手の手を借りるなら、感謝の気持ちを伝えてお願いするのは当たり前のことです。
そして、それは実のところとても恵まれているんですよ。健常者が感謝の気持ちだけで人を動かすの、実はとても難しいからです。
特に見ただけで障害がある程度想像しやすい身体障害、例えば車椅子の人が「この荷物を運んで欲しい」と赤の他人にお願いした場合と、健常者がお願いした場合、成功率は前者が圧倒的です。
これは頼まれた側が感情の面で納得できるからです。同じ荷物を持つ行為であり、手伝う側の負担は同じでも、手ぶらの健常者に言われたら「いや自分で持てるやーん!」ってなるのが人です。
健常者でも、何らかの事情(手荷物でいっぱいになっているなど)があれば別になります。人と人との繋がりというのは、結局のところ感情と納得なんですよ。
「自分にはこういう権利がある!」と叫ぶのは勝手ですが、その権利を行使する先には人がいて、その人を嫌な気分にすれば何が返ってくるのかを、もうちょい想像しないとね?
身体障害持っててよく偉そうに出来るよね
車椅子に乗ってて健常者に神の如き目線で文句言えるの、凄いなって思います。だってさ。
その目の前の健常者がちょっと本気出せば、簡単に命奪われますよ?
いやだって、その車椅子をポーンて蹴ったら終わりですよ。それとも首や顔面直接狙う? なんでもいいけど。
人権とかそういう理性的な壁で守られているだけで、健常者がついカッとなったら終了なのに。よくそんなに人を信頼してますねって思う。お前サバンナでも同じこと言えんの?
例えるなら、軽自動車でトラックを煽るアホと似ています。トラックがちょっとアクセル踏んだら全て終わりですよ。
さぁ。ここからはいよいよ「あーいやこーいう」の集大成みたいな話するよ。
目で見て分かる身体障害なんてイージーモードじゃん
目で見ただけで多くの症状が健常者から想像しやすいために健常者から協力を得やすく、ただ感謝の言葉を適当に吐いてれば、一方的に相手に負担をかけても許される立場。
働けなくてもセーフティネットで守られ、裕福ではなくとも死ぬことはない。
私から言わせれば、身体障害、特に健常者が目で見て障害内容の判断が付くタイプは、日本においては人生イージーモードでしょ?(内臓疾患は除く。目で見て分からないので)
なんで目で見て分かるってポイントを重視するかっていうと、先に述べた納得の部分なんです。何か出来なくても、何かお願いをしても、目で見て他者が納得できるからです。
そりゃ辛いよね、仕方がないよねって。
健常者の方が大変で面倒だと思うよ? 給料から税金をガンガン抜かれる、病気をすれば自己責任。お金がなくても自己責任。働かなければご飯も食べられず、最終的には寝るところすらなくなる。
それに精神、知的障害。それと目で見て分からない身体障害の人々。非常に理解を得にくいです。想像できないし、配慮と言っても個人が手助けできない領域が多く、孤独に戦う必要があります。
一応、精神や知的障害を持つ人の就職支援的なことを経験した私からすれば「障害者求人(ただし身体に限る)」なんて事例もいっぱいあるんですよ。
企業は配慮しやすい、目でみて分かる障害者を雇用したい。お客や取引先が見ても「この企業は障害者雇用に力を入れている」というアピールにもなる。素晴らしいですね、目で見えるって。
ってなるからさ?
みんなで思いやりを持っていこうよ。
分かるよ。私もちょっとした内蔵疾患あったり、精神障害患ったりして、それはもう面倒な目にも合いました。社会そのものに対する憎悪とか、そういう感情がないと言えばウソになります。
でも、目の前のその人には関係ないじゃないですか。貴方を手助けしようとしているその人に、恨み辛みをぶつけて何になります? 今度はその人が、障害者に嫌な感情を持ってしまいます。
感謝したら、貴方の何が減るんです? いいじゃないですか感謝くらい。本当はお金を払わないといけないシーンも、感謝ひとつで動かせるんです。
感謝もしたくないと思っても、仕方がないんですよ。だって障害を持っているんだから。どこか健常者と比べて欠けていて、何かを手伝って貰わないと生きていけないんですから。
嫌なら障害を無くすしかない。でもそれは不可能でしょ? だったら支えてくれる人に、しっかりと支えて貰いましょうよ。お互いが可能な限り、気持ち良く生きていける社会のために。
そして、健常者の人で差別的な感情を持ってしまう人へ。
貴方もある日突然、障害者になる可能性があります。障害者に優しい世界というのは結果的に、貴方にも優しい世界となるのを、どうか忘れないでおいてください。
以上だ! また会おう!!