どうも。皆勤賞とは程遠い勢いで学校を体調不良で休んでいた、ふーらいです。
ちなみにトレンド元の記事はコレなので、別に皆勤賞廃止に関する話ではないです。
ただ、私は皆勤賞なんて廃止した方が良いというか、なんでこんなもんが表彰されてんのかよく分からないというのが正直な気持ちです。
前提:嫌でも頑張る行為自体は称賛されるべき
人間、嫌なことがいっぱいあります。学校が基本嫌だった私はさておいて、日頃は楽しい人でも嫌な日があるでしょう。嫌な授業だとか何となく嫌だとか、ケンカしたあいつに会いたくないとか……
しかし、そんな中でも学校に行くという行為。嫌なことを嫌なまま頑張る能力はとても大切です。
なぜなら大人になると他人が嫌がることを代わりに自分がすることで、お金や居場所を作るのが生き方の基本になるからです。その成果が嫌なことを和らげたり、好きなことに昇華してくれます。
昨今、嫌なことから逃げろ的な論説が長くブームですが、これが実行できるのは天才や特殊能力の持ち主だけです。
ほとんど大多数の人間は嫌なことと日々戦い、たまに楽しいことでリフレッシュして生きています。
この認識が前提です。その上で。
休まず出りゃいいってもんじゃない
皆勤賞のために体調不良でも学校に来て、メチャクチャに咳き込んでバラ撒くヤツを山ほど見てきました。その度に風邪やインフルが蔓延して、最終的には学級閉鎖になったりします。
これ、ひとりの皆勤賞のために他全員の交流や勉強の機会が損なわれるんですよ。ただの迷惑なのに何で褒められるの?
それじゃあということで、少し風邪っぽい程度で学校には行けるけど、みんなのことを考えてあえて休む子だっていますよね。この子は称賛されるべきではないですか??
ひとりの皆勤賞のために周囲を無視する人間より1,000,000,000倍偉いと私は思います。
つまりですね、個人的な嫌だとか家族旅行など、周囲に影響のない事情による学校に行かないパターンと、病気などを理由とした周囲に影響のある事情とは『休む』の意味が違うハズなんですよ。
でも皆勤賞っていうのはそこがごちゃ混ぜ。毎日出るか否かでしか評価しない。そうなると出ることのみが正義なので、何が何でも出ようとする子が出てくるのは当然ですわな。
だから私は皆勤賞などという概念というか考え方は、一切支持しません。
「休むということを悪だと言っているワケではない」という意見も見られますが「行くことが正義」を増長させること自体がおかしいです。みんながみんな、周囲の影響を考えて休む休まないを選択できる環境や両親、脳みそを持っているワケではありません。
大人の価値観にも影響を及ぼすのでは?
これは若干極論の類かもしれないとは思うのですが、こういう子ども時代の価値観が大人になっても抜けない人たちが、何が何でも会社に来いというブラック人材になるのではないかと。
子どもの頃に刷り込まれた価値観というのは非常に重く、仮に自分自身が考えを改めようとしても難しかったり、そもそも問題に気付く発想すら生まれなかったりします。
毎日出て表彰された人間がそうなるのか、出られなくて叱責された人間が復讐心からそうなるのか。どちらにせよ、迷惑には違いありません。
とりあえず出るが浸透しすぎた結果が、死んだ目と終わったパフォーマンスで労働させられる大人なんじゃないですかね……?
以上だ! また会おう!!