どうも、虚無主義者(ニヒリズム)と言われてしまうことがたまにあります。ふーらいです。
先日、こんなnoteがTwitterのTLに流れて来まして。
VtuberがVtuberの推し活について語っています。こうやって動画とテキスト両方で出してくれると助かる(主に私が)。確かによく聞きますね、推し疲れ。
私も推してるVさんはいるっちゃーいるのですが、正直好きな時に好きなだけ見て、聴いているだけで、あまり金銭面での支援とかやっていません。疲れるまでのことはしてないんですよね。
でもやっぱり、コレだけは言っておきたい。
今回推し活がしんどい理由を発信してみて、ありがたいことに反応をいくつかいただきました。そこで改めて実感したんですが、
見返りが得られないと心が病む
この部分に関しては特に共感の声が多かったです。
「見返りが得られないと心が病む」
この部分。
見返りの求め方と基本的な考え
コレ、私的にすっごい違和感があるので最初にハッキリと言っておきたいのです。
趣味の範囲で見返り求めだしたら終わりだろ。
仕事じゃないんだからさ。仕事はね、対価としてお金を貰う契約行為だから当然なんですけども、この場合の見返りって、推しからのコメントとか反応(いいねとか)だと思うんですよ。
こういうのって、基本的にないものと考えて日々生きるべきだと私は考えています。「あったら嬉しいけど、基本はないもの」ってスタンス。
あったらそりゃ嬉しいですよ。推しからコメント読まれたり、反応があったら楽しいです。でも、それはあくまであったら嬉しい。無いのがデフォルトでしょ。
もっと言えば、その人が好きで何か推し活をやるというなら、その時点での推しへの評価(過去から現在)で行うべきだと思うワケです。その後の反応(未来)のためにやるのは違うだろって。
私達はモブキャラに過ぎない
推しに何かを残す私達はひとりひとりですが、送られる側の推しはそれを何百何千と受け取ることになります。それに対し、ひとりずつ丁寧な返事や反応を示すことは物理的に不可能です。
やらないではなく、出来ないんです。いいね投げるだけでも規制されるくらいの反応を貰う人も少なくありませんから。相手が人気で、推す人が多ければ多いほど難しくなります。
私達は人気者を盛り上げるモブキャラなんですよ。でも、モブがいないと盛り上がらないんです。モブといっても、とても大切なモブなんです。
どうしても配信者などの人気者とお近付きになりたいなら、同じ仕事をするべきです。同じ配信者になるなり、機材担当といった同じ仕事現場に立てるようになるしかない。
それをしないなら、ただのモブです。そして、それに虚しさを感じる必要はありません。それが当たり前だからです。
……あ、ちなみにガチ恋だからとか言ってひたすら粘着したり、局部の画像を送りつけるような超キモい論外最低変態な連中は――
爆殺ッ!!
以上だ! また会おう!!