どうも。インターネット老人会会員、ふーらいです。
ちょっと周囲でSNSを始めとする、アカウントを作って人と繋がるアプリで『ブロック』を悪というか、異常に毛嫌いする人が一定数見受けられたので、ちょっとその辺の話をしたいと思います。
今回の件に関しては若干、ジェネレーションギャップな気もしてますが。始めます。
システムを行使するのに深い理由はいらない
まずTwitterなどのSNSにせよpixivなど作品の場にせよ、ブロックとはユーザーが使えるシステムのひとつです。サービスにより詳細は異なりますが、大抵は自分と相手が互いに交流不可になります。
で。システムを行使するのに特段の理由は必要ありません。使いたけりゃ使うだけです。
Twitterに関して言えば、フォローしてみたけどめっちゃ五月蝿いなコイツとかあったら即ブロックしていいし、何ならいきなり意味もなく関係ないアカウントをブロックしても構いません。
なぜなら、ユーザーはブロックする権利を持っており、逆にブロックされない権利を持っていないからです。パワーバランスで言えばブロックする側が強い、それが交流サービスの原則となります。
ですので、誰かが誰かをブロックする、されるはシステム上当然であり、利用規約やポリシー等で保証された権利です。ブロックしようがされようが、文句を言うのは完全なお門違いとなります。
(この辺、Twitterで言うと規約上問題ないのに燃やされたbuhitter炎上に通ずるものがありますね。感情と規約をごちゃ混ぜにするな)
そもそもTwitterではブロック機能を「他のTwitterアカウントとのやり取りをコントロールするのに役立つ機能」とハッキリ書いて紹介しています。
これが嫌なら、そのサービスの利用を止めましょう。別にSNS無くても死なねーよ。
ブロックされたくないなら、されないよう振る舞うしかない
それでもブロックされたくないのであればせめて、ブロックされたくない人に対しては、ブロックされないよう細心の注意を払って振る舞うべきです。
ブロックとはする側が絶対であり、される側はどうしようもありません。力関係が強い方に「お願い」するしかありません。そうした上でブロックされたら終わりです。それが権利だからです。
しかし、どういうワケか「ブロックは悪」という話が散見されます。ブロックは人との交流を断つ悪い行為だとか、事実上の言論統制だとか、理論で勝てないから逃げ出したとか――
そんなにブロックされたくないなら、ブロックされないよう振る舞え。パワーバランスを見誤るな。相手が上で、お前が下だ。「お願いしますブロックしないでくださいませ」だろうが?
――という話になります。
もちろん、感情の面でブロックという行為が嫌だとか辛いとか、そういうのはあるでしょう。私も見たこと無いアイコンと名前の人に先行ブロックされてると思わず笑ってなんで? っては思います。
でもこれが交流のルールであり、規約です。規約と感情は別物であり、ごちゃ混ぜに論ずるのは如何なものかと。ルールに納得できないなら去るか、自分でそういう場を違う場所で作ってください。
ジェネレーションギャップな気がする
私のようなインターネット老人会会員は「嫌なら見るな」=「嫌でも見るなら自己責任」という公式を持っているため、ブロックされても気にしないというか、そういうものだと思っています。
何なら先行ブロックされてる方が、こちら側から選定する必要がないので助かります。
その点、最近インターネットに入って来た人(インターネット歴のみで年齢性別を問わず)はリアルとネットに境界がないので、ブロックという行為が無視や悪口のような感覚なのかもしれません。
ちなみに、年齢問わないとわざわざ書くのはこういうのがあるからです。
【悲報】気象情報ウェザーニュースのYouTubeチャット欄、インターネット老人らによりローカルルールが策定され公式が困惑「他人にルールを強要しないで」
・チャット入室時は挨拶を!
・退室時も挨拶を!
・キャスター登場時は一斉コール!
・キャスターのローテーションもしっかり把握せよ!@wni_jp pic.twitter.com/PlWrtrsY1k— 滝沢ガレソ🪚 (@takigare3) November 18, 2022
この手のはインターネット老人会ではなくただの老人共なので、誤解無きよう。
ただ、私がどう思おうが、最近の人がどう感じようが、ブロックというシステムを行使することには何の問題もないのです。再三言いますが、規約と感情は別で考えていただきたいなと。
合わない人と居てもお互いストレスだし、別のところでもっと相性良い人と話せばいいんですよ。インターネットは自由に住所を変えられるのがメリットなんですし、最大限活用しましょうね。
以上だ! また会おう!!