【老後2,000万円問題】寿命が伸びるのなら労働年数も伸びて然るべき【老齢年金と対策】

どうも。最近Vtuberになりました、ふーらいです。

この記事はpixivFANBOXで先行公開していた記事を、読みやすくマイルドにしたものです。過激な原文はこちらから。ブログでは公開できない内容も読めます。

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私は労働が嫌いです。

いや好きなヤツなんていねーよと言われそうですが、私は本当に嫌いです。こうして文章を書くのは割と好きな方ですが、これが案件になるとやる気ゲージが-500兆くらいするんです。

お仕事を貰えるのは本当にありがたいことですし、生きていくためには必要ではあるのですが……え、他の仕事? もっとつれーよ!!

これを……

老衰するまで、やるのかぁ……?

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崩壊するかはさておき、ゴールがズレる年金制度

 

日本では高齢者になると、支払い年数に応じた老齢年金が受け取れます。昔は60歳から受給出来ましたが、現在は原則65歳です。

政府は70歳にしたい雰囲気を定期的に出していますが、出す度に「弱者虐めだ」と烈火の如く批判されます。

最近ではフランス政府が年金支給を62歳から64歳へ、2年を段階的に引き上げるというだけで大規模なデモが多発する事態となっていますね。

ここまで行ったらレースは終わりだと言われていて、先人たちがそこでゴールテープを切っている。なのに、自分たちが走っている最中にゴールを遠くに移動させられたら、いやそれはおかしいやろってなります。

私たちは先人たちと同じだけコストを支払っているのに、なぜ走る距離が伸びるのか。

しかもその原因は当然走っている自分たちではないワケで、足りないというのなら走り終えた、現在の受給者から削れと言いたいところです。

――まぁこの辺の話は今回の主旨から逸れるのでこれくらいにして。私は「嫌だけど働くしかないよな」と思っている節があります。というのも。

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寿命が伸びれば経費もかさむ

少し前『老後2,000万円問題』なんて単語があちこちで挙がりました。要約すると

「65歳以降公的年金のみで生活すると毎月5万円以上が不足し、それを30年続けるには2,000万円必要という試算が出た」

という話です。

大変刺激的なネタではあったものの、いくら平均寿命が伸びている昨今とは言え30年無職で生きるならそら、国から貰うだけで生活したいってのは無理があるやろって話だと私は考えます。

まず、ご存知の通り平均寿命は伸び続けています。下画像は厚生労働省が出している、日本人の平均寿命の推移を表したグラフです。

厚生労働省「図表1-2-1 平均寿命の推移」

1955年では男性63.6年、女性67.75年だったのに対し、1990年には男性75.92年、女性81.9年と、12年以上伸びているのが分かります。

この表内最新の2019年時点では男性81.41年、女性87.45年で、性別問わず80歳までは平均して生きる時代に突入しています。1955年と比較すれば20年の伸びです。
(2040年の推定平均ですら95歳には届いておらず、寿命の伸び方は緩やかになっていることから『老後2,000万円問題』は可能性としてありうるとしても、少々盛りすぎている気がします)

つまり、人生における終点である寿命というゴールは、かなり後ろに移動していることになります。にも関わらず、労働年齢という途中のゴールを一切動かさないというのは、さすがに無理のある話ではないでしょうか。

1955年の平均である65年で終える人生と、2019年平均の85年で終える人生なら、当たり前ですが85年側の方は20年分の生活費が必要になります。

それをすべて公的年金で賄おうというのは、その20年分を若い世代に負担させる行為に他なりません。しかもその若い世代の人口は減少しているのに……無理でしょ、どう考えても。

だいたい20年間無職でいる人が「お金がない!」と言っているのを見たら「そらそーやろ」と反応するのが普通です。

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細く長く働く術を考える

となると大変不本意ながら、労働年齢も伸ばさざるをえないということになります。生きていてコストがかかる以上は、完全無職でいられる期間というのには限度があります。

大変不本意ながら(大事なことなので以下略)。

とはいえ、高齢者になれば若者のように身体は動きません。脳細胞は60代でも機能させられるという話もありますが、若者と同じ吸収力を維持するのは無理筋でしょう。

ただ、経験値だけは若者より高いです。この経験値を活かして働くことが出来るのであれば、労働年齢を伸ばすことは十分可能だと考えます。

 

なるほど?

 

Q.じゃあそれは具体的に、どんな仕事なの?

 

A.

 

 

 

 

 

真面目な話、私たちが高齢者になった時にどんな需要からどんな仕事があって、その範囲の中で自分に何ができるのかなんて分かるワケねーだろ!

それが分かったら株式投資で2,000万とか一瞬で稼げとるわい!! 携帯電話がケータイになりスマホになってく世の中よ?

じゃあ何が出来るのかって話になって、何もないから2,000万貯めなきゃって話になったんでしょうし。でも2,000万円とか無理ゲーですよね普通。そこで。

唯一の対策は健康維持かも

高齢者になってもある程度身体と頭が動かせる状態にさえしておけば、どんな未来が訪れてもある程度は対応出来ます。別に若者と全く同じ水準にする必要はなく、年齢相応の身体能力と、認知能力に問題がない程度の脳の状態を維持出来れば良いでしょう。

つまり健康維持。コレが今出来る唯一の対策。具体的には運動習慣とそれによる筋肉貯金の形成、そして食べ物に気を遣うことです。

私は自治会や仕事の関係でいろんな高齢者と話す機会がありますが、高齢者は若者たちの何倍も大きく、同じ年齢同士で出来ることの差が出ます。

動ける人は体力的にバテやすいだけでバリバリと動けますが、動けない人は体力以前の問題で寝たきりです。

頭が働く人は今でもスマホなど最新の機器を操作して、いろんな方法で人と触れ合い交流を持ちますが、ダメな人は日々の生活すらままならず、ケアマネジャー以外とは会話すらありません。

若いうちに身体を動かして筋力を付けておくことは、とても重要です。高齢になり身体が弱ると、一定の筋力がないと動くことそれ自体が困難になるためです。

若いから運動や健康へのコストなんていらんだろっていう発想はその時点においては事実ですが、年齢を重ねるとボディブローのように効いていき、ある日突然限界を迎えます。

迎えたが最後、治す方法はありません。ただし、限界に到達しない限りはかなり長く維持が可能です。人間の身体って凄いよね、メンテさえしておけば80年90年経っても動くんだぜ?

とまぁ、ここまで未来のことを考えた話を展開した最後に。

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未来に心を持っていかれると鬱になる

人間以外の生物が精神を病まないのは、未来を予測しないためだと本で読んだ記憶があります。

冬に備える生物はいますが、アレは本能でそうしているだけであって、冬のことを具体的に考えてやっているのではないのだとか。

未来を予測する行為そのものは、社会生活を送る上で必要不可欠です。明日のために早く寝て、1週間後のために買い物をし、1ヶ月後のために予定を組みます。

ただ、‘持っていかれる’……つまり、先の不安や恐怖で今この時の行動ができなくなると、人は精神を病みます。

というのも、未来予測なんてだいたい暗くなるからです。そもそも予測するという行為の動機は基本的に‘不測の事態に備える’ためであり、そこに不安や恐怖があるからこそ考えるんですよね?

もし不安も恐怖もないのなら、その予定のことを深く考える必要性がありません。ですので、考えること自体は必要であるものの、ハマらないことが肝要。

将来のことを考えるのはもちろん大切ですが、不安や恐怖のループに囚われたら一旦その思考をシャットダウンするようにしましょう。ループにハマって動けないその時間が、結果的に将来の可能性を狭めてしまう方が問題なので。

 

……そう言いつつ、私も考え込んじゃうタイプなんだけどね。考え込んじゃうタイプじゃないと、こんな文章書かないと思うんだ。

 

以上だ! また会おう!!

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