どうも、ふーらいです。
最近は日大のアメフト問題が大炎上中ですが、その前は相撲会の救命措置について、もう少しさかのぼると週刊文春が発端の不倫報道(文春砲)なども話題になりましたよね。
私は不倫とか割とどうでもいいのですが、相撲の救命活動に関してはかなり思うところがあり、Twitterでけっこうつぶやいたりしていました。
今回のアメフト問題に関しても、言いたいことはいっぱいあります。
ただ、自分が正しいという立場で、言いたいことがポンポン出てくるのって、実はとても危険なのではないかと思うのです。今日はその辺のことを、まとめて書いていきます。
義憤とは
道義に外れたこと、不公正なことに対するいきどおり。「金権政治に義憤を覚える」
ようするに、間違ったことに対する怒りの感情のことです。
今回のアメフト問題で言えば、スポーツマンシップのかけらもない行為に始まり、監督の指示やマスコミの対応など「間違ってるだろ!」って言いたいことがいっぱいあります。
でも、ここで問題なんですが。
私たちはそもそも、なぜ言いたくなるのでしょうか。
私たちがTwitterでグチグチ言ったところで、クソ対応が変わるワケではありませんよね。
電話などで突撃している人ならまだ影響がありそうですが、仮に相手の対応が本当に変わったところで、私たちの人生にはまったく影響がありません。
絶対安全な場所から相手を批難するのは、超快感
超気持ち良い!
日頃から怒る人も怒らない人も関係なく、自身が特定できないネットや電話で、明らかに間違った相手を批難する行為というのは、そりゃあもう気持ち良いんです。
なぜなら、絶対に反撃されませんからね。仮に反撃しようものなら「アイツが間違っているのにクソ対応だ!」とさらに炎上させるだけ。こっちは無敵です。
間違っている相手を上から殴る行為は、非常に強力な快感になります。
時折見られますが、とにかく相手を批難しまくる人がいますよね。もうこの快感が麻薬になってしまっているんです。脳が、義憤による怒りで得られる快感漬けに……
メディアからなぜ、義憤をかき立てるようなニュースが多いのか。見る側にとってそれは快感だからなんですよ。あっちも視聴率が欲しくて必死ですから。
メディアも分かっていて、義憤を煽っている
メディアはある意味で素直です。特に報道バラエティのような雑誌的な情報を扱う場合、本当に素直です。彼らが義憤を煽るということは、義憤を煽ると儲かるってことなんですね。
人間は、苦痛を耐えることができます。いや、あんまりにも耐えると潰れてしまいますが、苦痛という情報に対して一定の我慢ができるようにはなっています。
しかし、快感を耐えることは難しいです。だって、気持ち良いんですから。
男子中学生からオナニーを、麻薬中毒者から麻薬を取り上げるようなもので、今まで得られた快感が得られなくなることに、人間(というか動物すべて)は耐性がありません。
義憤による気持ち良さを得られるメディアから、気が付けば離れられなくなり、その快感の虜になっていく――これはかなり危険なのではと感じています。
義憤そのものが悪いことではない
ただし、義憤という怒りの感情そのものが悪いワケではありません。
正しいことを行う心と、正しくないことを正す心。これらはむしろ、社会に必要なものです。
それと、これは私の個人的な話なんですが、気持ち良い行為をすべて封印する必要は必ずしもないとも考えています。ストレス発散にはなりますしね。それはそれで良いかと。
ただ、何事も「過ぎたるは及ばざるが如し」。やり過ぎないことが大切です。
義憤に身を任せず、義憤を分別してコントロールしよう
義憤で得られる快感に身を任せると、悪いヤツを見つけ出しては攻撃するような、人としてどうしようもない行動を当たり前のように取るようになってしまいます。
これを防ぐ一番の方法は、一切の情報を遮断することです。ネットもメディアも一切見ない! でも、それはさすがに非現実的でしょう。嫌でも耳に入る情報はたくさんあります。
となると、情報を取得した上でまったく気にしないモノと、これはさすがに言いたいし言ってしまおうというモノとに、キチンと分別する力を養うのがもっとも現実的です。
リアルな社会での活動と同じですよね。コレはまぁ我慢出来るしいいか、でもコレはハッキリと注意しよう……そうやって、時には無意識のレベルで感情の扱い方を分別しています。
それが義憤になると、自分が絶対的に正しい、かつ反撃を受けないという立場のせいで、分別が疎かになってしまうのです。そこをしっかり注意して、感情の吐き方を分別しましょう。
おまけ:義憤はものづくりのエネルギー源にも、消失源にもなる
自分への戒めも兼ねて。
ブログを書いている私も含め、イラストや文章などを自ら創り出す人たちにとっては特に、義憤というエネルギーは丁寧に扱う必要があります。
「間違っていることを正したい」というエネルギーは、新しい創造のエネルギーになります。社会問題を鋭く斬る作品群は、義憤から生まれた傑作です。
しかし一方で「どうやっても正せない」と感じたり「適当に人に話すだけでスッキリ」で終わってしまうと、ものづくりのエネルギーを失う原因になります。
私自身、Twitterでつぶやくとスッキリすることって少なくないんですよ。
せっかくブログを持っているので、できればここに今回のように書きたいのですが、清書ってエネルギーを使うじゃないですか。つぶやいてスッキリするってお手軽なんですよね……
まとめ:快感には気を付けよう
快感は、それを延々と摂取すると中毒になります。
しかし、何の快感もない世界は無味無臭。生きている実感がなくなります。
だからこそ、快感を伴う行為は上手にコントロールしていく必要があります。快感に身を任せ過ぎず、適切に摂取することが大切。用法、用量を守りましょう。
以上だ! また会おう!!