【思うこと】自分の感じている痛みや苦しみが可視化されると安心する。子どもの頃は『つらさの物差し』を欲しがってたな

どうも。秋花粉で鼻と精神がズタボロにされています、ふーらいです。

もうくしゃみと鼻水が酷くって……秋花粉なんてシーズン1ヶ月程度やしと買った市販薬はまったく効かず、耳鼻科で処方されたステロイド内服薬を朝夕2回で、ようやく症状は収まりました。

その後耳鼻科の先生から「元が酷かったから楽に感じているだけ」ってことで、内服薬を1回に減らして、代わりに点鼻薬(同じステロイドでもめっちゃ副作用少ないらしい)で凌いでいます。

もうちょっと早く耳鼻科に行くべきだったなぁと思うと同時に、診るなり先生に「苦しいやろね、酷い状態だよ」と言われて、少し安心する自分がいることに気付くのです。

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アレルギーと喘息のダブルパンチだった

私は幼少期からアレルギーと小児喘息のダブルパンチで、すぐに風邪を引くし、すぐに悪化していました。鼻詰まってるのに咳止まらないのは地獄です。息できんからな!

本当はマスクを付けて学校に行くべきなんですが、そんなことをすると「マスクマン」とかっていじられるし。でも付けずに行くとすぐに鼻と咳。

多くの大人からは教師を含め「自己管理がなってない」と言われ続けてきました。

アレルギーは原因物質と免疫反応は人それぞれなのに、軽い花粉症の人に仮病を疑われます。喘息の咳は通常の咳とぜんぜん違うんですが、大げさだと言われます。

私が当時都会から田舎へやってきた部外者だったせいなんでしょうけど、それにしたって辛かった。私の小学校から大学進学までの対人記憶は基本ゴミだらけです。特に同年と年上からはキツい。

アレルギーの鼻炎にせよ喘息の咳にせよ、みんなある程度は持ってたり経験したりしているから「自分の苦しみと同じなのに、コイツは苦しみすぎ」だと言うんです。

あの頃の私はずっと思っていました。

「『つらさの物差し』があったら、私の苦しみはお前らのとは全然違うんやぞって説明できるのに」

と。若かったよね。

そんな子ども時代だったから、ストレスが強かったんだと思います。何かあると目まいを起こすし、お腹に頭に足まで痛くなるし。

それらは原因不明で片付けられ、私の弱さや甘さのせいだということで社会は回っていました。そしてより『つらさの物差し』への想いは強くなっていったのです。

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『つらさの物差し』への憧れと消失

そんな幼少期を過ごしていたある日、同級生が不登校になりました。まぁ嫌ないじられ方をしていました。私も参加していました。参加しているうちは、こっちに火が飛んでこないからです。

不登校になった途端、教室ではその子が来なくなった原因を考え、支えるグループが構成され、みんなが協力して解決すべき問題として定義されました。

私は酷く後悔しました。私が傷付いている方がまだマシだと思いました。だから学校や教室との動きとは別で、なんとかその子と連絡を取り、密かに遊んだりしました。

でも、同時に思ったのです。

この子は心配されるけど
私だったらしてくれないな

私はどこかで、私の苦しみを理解してくれたなら、物差しで数値化して私の苦しみを証明できるのなら、社会はもっと私に優しくしてくれるんだと思っていました。

でも、私が今受けている苦しみを原因にして不登校になっても、ざまーみろになるだけで、何も起こらないんだと気付いた時『つらさの物差し』への憧れは消失したのです。

そもそも、この不登校の子だって。確かにいじられてはいたけれども、私が日頃から受けてる内容から考えたら甘いだろとすら思っていました。この程度でこんなに優しくされるのかよ、と。

でもこの「甘い」という考え、私を抑圧している連中と同じなんですよ。ただ、これを思ったり考えたりすることと、相手にそれを言うこととは全く別なんですが、その辺が子どもの私には分からず。

なんかもうどうしようもなく、悲しい真理でした。

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自分の痛みや苦しみが可視化される喜び

そんな私も大人になりました。会社勤めの時は相変わらず酷いことを言われましたが、自営業になった今は言ってくる人がいないので、精神的には安心安定です。

まぁこんな身体なんで、むしろ自営せざるをえないんやけどさ。選択肢はないんや。

定期的にインターネットで「あの頃に戻るんだ」的な話をする自称陰キャがいますが、これこそ甘いって思っちゃうよね。本当にキツい経験があると、戻りたいあの頃なんてねーんだ。

むしろ大人になれば自力で環境だけは変えられる分、まだマシなんよ。大人は住所を、職場を変えられる。面倒だが自死せずリセットできる。それができない子ども時代がどれほど辛かったことか。

ああっと、閑話休題。

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人が多いとすぐ目まいがしていました。ある時、そのことを当時の主治医に話したら「軽度のパニック障害かもしれないから、この薬飲んでみ?」と言われ、半信半疑で飲んだら治りました。

今は飲まなくても、人ゴミで酔うことはありません。20年来の悩みがひとつ解消しました。

足がずっと痛くて、人生で2度も別の大きな病院で診てもらったのに原因不明でした。しかし、別の痛みで通院した整形外科の先生にボソっと愚痴ったら、原因を特定してくれました。

先生は親身に話を聞いてくれ、原因と思われる箇所をひとつひとつ潰していって出た結果でした。保存療法しかありませんが、ストレッチをすることで以前のような辛い痛みはなくなりました。

医療の発達に加え、出会った先生方が素晴らしかったんだと思います。そういう意味でも田舎はクソ。

自分の痛みや苦しみをまずは信じてもらい「その症状はこれかもしれない」と目に見える、人に説明できる形に可視化されることは、本当に嬉しいことです。

周囲からウソだの証拠がないだの言われ続けると、自分の感覚を信じられなくなるんです。もしかして幻想や妄想の類だったり、普通の人が何も言わない症状を自分が大げさに感じているのかと。

だから、どうしようもなくなって病院に行き、酷い状態だとか、もっと早く来るべきだったと言われると、反省以上に安心します。

そうか、普通の人でも辛いと言える状態なんだなって。私が苦しいのは間違いないんだなって。

オチとかはない自分語りでした

話をまずは聞いてくれて、少なからずマイナスから入らず、私の言っていることが真実であることをベースにして物事が進むことが、こんなにありがたいんだと気付いたのは田舎を出てからです。

初期値がマイナスから始まると本当にしんどいです。何を言おうがやろうが、ちゃんと受け止めてもらえない。やったら「なんかやってる」と言われ、やらないと「なにもしない」と言われます。

嫁は私に男性的な役割を求めてきません。具体的にはお金をより稼ぐべきだとか、強くあるべきだとか。だからこそ、こんな身体や発想の脳な私とでも一緒にいられるのでしょうけども。

せめてなるべく低姿勢に生きようとか、辛いよ苦しいよと嘆く人に「は? 私の方が辛いんやけど??」とか言わないようにして生きようとか、そんな感じで今日もやってきます。

 

以上だ! また会おう!!

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