【思うこと】しきりんの相談を受けて思う、創作趣味と自己顕示欲との向き合い方。私の考えを語るよ

どうも。創作のことで悩んでいた我が嫁、しきりんといつも以上に話してました。ふーらいです。

この中で、いくらか出たテーマとして自分の創作物を人に見てもらうことが大きな、時に異常な価値になっていると感じたことがありました。自己顕示欲というヤツが、かなり強いんですね。

なので、私なりの意見というか思うことを書いていきます。

なお、ここで私が書いていることは私なりの結論であって、すべての人にとっての解答にはなり得ません。もっとも、そんなことはこのブログに限らず、人の意見なんて全部そうですけども。

スポンサーリンク

絵や小説を人に見せるということ

たくさんの人に見てもらえる条件はふたつ。

ひとつは、技術が優れていること。

これは単純に、その創作が上手いということ。絵で言えばめっちゃキレイで可愛くてエロいとか、1コマで笑わせてくるとか。何にせよ、見た時に人にプラスの感情をもたらす存在が生み出せること。

そしてもうひとつ。コミュ力が優れていること。

意外と忘れられてるなって思うのはこっち。創作物の技術が大したことなくても、創作物を生み出すその人が人気者だったり、人当たりが良いと「この人の作品だから見たい」という人が見ます。

赤の他人の作品は気にならなくても、友人知人の作品や、好きな有名人の作品と言われたら、見てみようと思う人も少なくないでしょう。興味がなくても、人付き合いでいいねを押す、なんて人も。

そして、このふたつに共通するのは――

スポンサーリンク

需要に応える

これ自体は創作に限らない基本的なことでしょう。

人が欲しがるということは、その人の需要に応えるということです。

特に技術力の面には大きく働きます。具体的に言うと、Twitterにおいてはほとんどのケースにおいて、人の絵を描くなら男性より女性を描いた方が見られやすくなります。

それは、多くの状況において男性より女性の方が需要があるからです。女性は女性絵も多くの人が見ますが、男性は男性絵をわざわざ見る人が少なく、女性絵の方が需要が大きい傾向にあります。

あとこれ、手元にデータはないですが、体感Twitterは圧倒的に男性、特におじさん率高めなので女性絵の方が需要があると思っています。

私の書いているブログで言えば、人が読みたいと思うネタを書くことです。

そう。

自分が作りたいモノではなく、相手が作って欲しいモノを生み出す。それが需要に応えるということになります。

こう書くと息苦しい感じを受けますが、自分の好きなモノと相手の欲しいモノが一致している場合は関係なく見てもらえますし、人が好き勝手してるのが見たいという人も世の中にはいます。

ただ、あくまで見てもらうということは相手の需要が原則です。

見てもらえないという悩みを持つ人は、どうしても技術を上げるか、コミュ力を上げるかが求められるということになります。

インターネットがボーダーを引き上げる

ただ、インターネットが需要のボーダーラインを大きく引き上げてしまっていると感じます。

この辺は創作が一切分からない人でも、Twitterで4ケタいいねを叩き出すイラストを見れば分かります。神絵師と呼ばれる創作者が山ほどいるんですよ。

「額縁に飾れよ!」って言いたくなるようなクオリティが、無料で溢れてるんですね。

しかもそういう人が数多くいるので、消費者側は複数の創作者が何日もかけて必死で生み出した作品を、ローテーションで毎日拝めてしまいます。

このせいで、ちょっとやそっとの技術力では見向きもされなくなっています。自己顕示欲を満たす場合、技術力よりコミュ力を発揮する方が近道なのではと私は感じています。

で、ちょっとこの話を置いておいて。

スポンサーリンク

そもそも論として

自己顕示欲を創作で満たすこと
それは本当の、自分の意志ですか?

見てもらえないと悩む人には、自分の胸に問うてみて欲しいと思うのです。

それは本当の、自分の意志ですか?

それが本当なら、多分なんですけど、この記事を読んでも何を言っているのか、よく分からないと思います。そういう人は悩むとすれば技術面の問題のみで、深く悩まないのではと。

何が言いたいかって言うとですね。

創作という行為で覆い隠された、何か別の欲望がないですか?

人からありのままを称賛されたい、他者を全力でマウントしたい、あの頃の人々に復讐したい――どこか違う、“何か”が潜んでいません?

潜んでいないなら、それで大丈夫です。でももし“何か”がそこにいるのなら、それは創作だけでは一生解決しません。

仮に貴方が5ケタいいねを貰っても、満足することはないです。それは、目的が違うからです。

自己顕示欲が異常に大きい時というのは、本当に危なくて。“何か”は赤ちゃんかもしれないし、モンスターかもしれないし、親しい人かもしれません。

もっとも、“何か”を活かして素晴らしい作品を生み出す人もいます。燃料として糧に出来るなら、何の問題もありません。そのまま燃やし続けて良いと思います。

でも、立ち止まってしまう時。燃料どころか冷水として貴方を妨害する感情が出る場合は、ちょっと落ち着いて自分の心に問いかけて欲しいのです。

ちなみに、私の場合

ただ人に言いたいだけ

私、通りすがりの人に自分の想いとか言いたいことを、一方的にバーッて喋りたいんですよ。しかも、私の話に聞く耳を持つ人にだけ話したいんです。

しゃーねーな、聞いてやるかくらいのテンションならいいんですけど、人を説得しようとか、違う想いを持つ人に自分の想いを伝えようとか、そういう気持ちはないんですね。

まさにラジオというか。言いたいことを喋ってスッキリしちゃうんです。で、聞いてくれる人がいるかもしれないので文章にして残したい。誰も聞いていないとつまらないので。

私の元に届いたお便りは読みたいけど、全部が読みたいワケじゃない。聞いてくれる人は大切にしたいけど、聞く気のない人には立ち去って欲しい。

とかやってるうちに出来たのが私、ふーらいという存在とこのブログかなぁ、と思います。ネット上でだけは人に迷惑をかけない程度に、ワガママでいたいものです。

 

以上だ! また会おう!!

スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク
心理的なこと思うこと
ふーらいをフォローする
ふーらいの思うこと