【思うこと】議論はお互いが議論する気がないと成立しない。では情報発信の意味はあるのか【フィルターバブル・エコーチェンバー現象】

どうも。早くワクチンを打って5G接続できない人類を煽りたい、ふーらいです。

コロナ禍ですが、ようやくワクチン接種が始まりました。すでに打っている人、打ちたいので待っている人、打たない人。色んな人がいると思います。

そんな中、割と見かけるのがワクチン推進派と反対派の議論。私はどっちかと言えば推進派になっちゃいますね。反対派の意見が全然理解出来ないので……

で、多分なんですけど。この両者の意見のぶつけ合いって何も意味ないんだよなって思ってるんです、私。その理由とかをつらつらと書いておこうかなぁと。

その前に、フィルターバブルとエコーチェンバーについて軽い解説を入れておきますね。

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フィルターバブル、エコーチェンバー現象とは

正確にはどちらも意味は違うのですが、結果起こることが同じなのでまとめて書きました。まずは我らがWikipediaを引用。ちょっと長めの引用です。

フィルターバブル (filter bubble) とは、「インターネットの検索サイトが提供するアルゴリズムが、各ユーザーが見たくないような情報を遮断する機能」(フィルター)のせいで、まるで「泡」(バブル)の中に包まれたように、自分が見たい情報しか見えなくなること。

(中略)

自分の欲しい検索結果が返って来るようなアルゴリズムを持つwebサイトほど、良いwebサイトだとユーザーに評価されるので、各サイトの検索アルゴリズムはますます進化したが、一方で、検索サイトのアルゴリズムがますます進化して、ますます自分の欲しい検索結果が返って来るようになると、最終的には、自分の見たい情報(実際は、検索サイトのアルゴリズムがそう判断した情報)以外をインターネットで見ることが出来なくなる。そして、自分の観点に合わない情報から隔離され、同じ意見を持つ人々同士で群れ集まるようになり、それぞれの集団ごとで文化的・思想的な皮膜(バブル)の中に孤立するようになっていく。この現象を「フィルターバブル」と言う。

Wikipedia – フィルターバブル

「エコーチェンバー効果」とは、エコーチェンバーのような閉じたコミュニティの内部で、誰と話しても自分と同じ意見しか返って来ないような人々の間でコミュニケーションが行われ、同じ意見がどこまでも反復されることで、特定の情報・アイデア・信念などが増幅・強化される状況のメタファー(隠喩)となっている

この「エコーチェンバー」の内部では、「エコーチェンバー」内の「公式見解」には疑問が一切投げかけられず、増幅・強化されて反響し続ける一方で、それと異なったり対立したりする見解は検閲・禁止されるか、そこまでならないとしても目立たない形でしか提示されず、すぐにかき消されてしまう。そうするうち、たとえエコーチェンバーの外から見た場合にどんなにおかしいことでも、それが正しいことだとみんなが信じてしまう

エコーチェンバー現象 – Wikipedia

何のこっちゃ? とか文章が長い! と思う人のためにザックリ要約してしまうと。

フィルターバブル:自分と興味や関心が合う情報しか見なくなる
エコーチェンバー:自分と興味や関心が合う人としか情報交換しなくなる

って意味だと思ってください。めっちゃザックリですけども。

現在は本当に山のように情報がありますが、そうなると当然、自分の興味のある情報を見るようになるワケです。

野球に興味があって、サッカーに興味がない人には、野球の情報がめっちゃ集まるようになります。その分、サッカーの情報はなくなります。興味がないので見ない結果、フィルターが働くワケです。

そして、付き合う人も野球好きが集まることになります。サッカー好きの人と会話をする機会は減ります。当然ですね、野球が好きなんですから、野球で盛り上がります。

これは非常に楽しい空間なのですが、サッカーの良さを知る機会は失われますし、それ以外の球技も面白いかもしれないのに、知る機会が少なくなってしまいます。

これが政治思想などの場合も同じになってしまうんですよ。例えば与党支持者は与党にとって良い、野党にとって悪い情報を選んで見てしまい、同じ思想の人と付き合うようになってしまう……

結果、どんどん自分の思想が強化されてしまい、反対意見を汲むことができなくなります。

……という用語の説明をなぜするのかと言うとですね。

現在のインターネットってこの効果がバリバリに働いているので、どんなにソースを提示した情報を公開しても、反対側にいる人には見えないんですよ。

同じ意見を持つ人が改めて、自分の意見の正しさを再確認するだけ。だから、具体的に自分の主張をしっかりと作り込んだところで、反対側にいる人には伝わらない。

それでも伝えたい場合は、反対意見を言っている人を捕まえて、議論を行う必要があります。そして、そもそもというお話として。

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議論は、お互いが議論する気がないと成立しない

議論する気とは、相手の意見をしっかり聴き、その内容を自分の持つ知識と照らし合わせて、より良い結果を得ようとする心構えのことです。

最近はワクチンに関するお話が多いので、ワクチンを例に取りますが。

お互い、議論する気があるように見えますか?

少なからず、私にはそのようには見えません(コレ自体がフィルターバブルやエコーチェンバー現象の可能性もありますが)。こういう状況では、お互いに何を言っても無駄なんですよね。

相手側の意見をお互いが分かろうとしない限り、お互いに「何言ってんだコイツ」ってなるだけなんです。なお、片方だけが分かろうとしても成立しません。結局「何言ってんだコイツ」になります。

で、議論ってめっちゃ疲れます。なぜなら、自分の思想や知識といった部分を一度、疑ってかかる必要があるからです。

自分が正しいと信じて疑わないことを相手が否定してきたら、その意見は汲めません。自分が正しいのですから「何言ってんだコイツ」となってしまいます。

そして、この行為をお互いがして初めて議論が成立し、新たな解が生まれる可能性があります。

そこまでして人と分かり合う必要があるのか

赤の他人が全然違う意見から自分の意見と同じになったところで、それって意味あるんでしょうか? 私の人生は豊かになるのでしょうか?

それが家族や恋人といった近い関係なら分かるんですけども、所詮は他人ですからね。他人を操作出来て楽しいなんてマウンティング目的以外で、やる必要性を感じません。

例のワクチンに関してはみんなが打った方が効果も大きくなるのですが……毒が入ってる! 5Gに接続されちゃう! ミュータント化する! とか言ってる人を議論を通じて説得できます?

私には無理だわ。

人なんて結局のところ、自分の信じた情報しか飲めないんですよ。よく裁判なんかで「真実を知りたい」とか聴きますけど、それ本当に? っていつも思っています。

それが自分にとって不都合な真実だった時、それを真実だと飲み込めるでしょうか。

先に解説したフィルターバブルやエコーチェンバー現象なんて、人としては当たり前だと思っていて。そりゃ同じ意見、同じことで盛り上がれる群れの方が楽しいですからね。

わざわざ違う意見を見て「へぇ~そういう意見もあるのか、私の価値観は違うのかもしれない」って毎回やってたら、それこそ自分というものを失います。頭おかしなるで。

それが仕事とか見返りがあってしっかりやろうって言うなら分かるのですが、再三言うようにお互いに意見を汲もうという意志がない限り成立しません。不毛じゃない? そんなの。

「追突注意!」って看板の下で追突事故起こしてる人がいるようなもんで、本来伝えたい人は何も聞いて無くて、伝えなくてもしっかりしている人がより注意するんです。

これらを知った上で情報発信することが素晴らしい

で、ここまでの話でやや矛盾するオチを言うんですけど。

これらを全て理解した上で、マウンティングでもなく、本当に純粋な気持ちや目的を持って情報を発信する時、それが最も素晴らしい行為だと私は考えます。

それは、人間という動物を超越しているからです。「同じ知識で群れてれば幸せだしそれでいいやー」という動物的思考を超えた先にあるんですよ。それって大切だと思うのです。

そういった情報が巡り巡って他者により良い知識や結果を授ける時。それは間違いなく、人が人を救済したと言えます。

多くの人にとって無駄だと分かっていても、それを少しでも変えるために訴える行為というのが美しいのです。

ちなみに:何で私は文章を書いているの?

私がスッキリするから

思ったことを文章にして発信するのが好きやねん。本当にそれだけ。私の社会的意見を見て「え、マジで? 今後は考えを改めてこ」なんて人がいるとは考えていません。

私はブログもTwitterもそうなんですけど、私の言葉を聞こうとしてくれる人にだけ話したいんです。みんなに聞いて欲しいワケではないし、聞く気のない人は一生聞かなくていいです。

なので、私は別に素晴らしくありません。ただのストレス発散だと思ってね。

 

以上だ! また会おう!!

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